2018年3月8日木曜日

音 Therefore be of sound mind, self-controlled, and sober in prayer.





おと(oto)・ね(ne)・オン(on)・イン(in)

と、読まれる文字です。

この文字をタイトルにするのは、
実は大変骨が折れる作業です笑

空気のように、この世に満ち溢れているということは、
感じること、理解の角度、想いの深さなどが、
人の数だけ存在するということに等しいので、
何をとっていいのか。

でも、僕なりにこの文字から感じることを書いてみましょう。

成り立ちとしては、

「立」に「日」。
ですが源字では「言」に「日」です。
日は祝詞をいれた箱で、
ここに言霊を降ろし、神の言葉を聞く。
とするという意味合いから生まれた文字だそうです。
「日」は誓いの言葉を入れた器で、
その上に刑罰に使う針を立てている姿で、
これに欺いた時、この針で入れ墨の刑に処されるのだそうです。
よって、一つは、祈る言葉を「音」と表現し、
もう一つは、その祈りに神が反応する時に、
「音」をかすかに立てるので、そのひびきを指しています。
            ※白川静 常用字解より引用


素晴らしい音楽に、
神がかり的なエネルギーを時折感じるのは、
このせいかも知れないな。

と、それに出逢うたびに考えます。

特に、人の歌声には、祈りのような、誓いのような。
そういった崇高な部分が混在していると、
やはり、シンガーや作曲家、
作詞家、アレンジャーと呼ばれる人々は、
どこかで選ばれた人なのかもしれず、
多くの人の祈りを「音」に乗せて、
言葉を超えたメッセージとして、
伝え続ける人なのかもしれません。

方や、僕にはどうしても、いつ耳にしても、
ほろっときてしまう音楽のスタイルがあります。

少年少女の歌声です。

今はちょうど卒業の時期ですよね。

たくさんの声が集まって奏でられる音には、
無垢な祈りがなんだかいっぱいに詰まっているような気がして、
泣けちゃいます。

タイトルに付け加えた英文は、
聖書からの引用です。
Therefore be of sound mind, self-controlled, and sober in prayer.
“ですから、健全な思いを持ち、自制し、冷静に祈っていなさい。”
この前には、「世界の終わりが近づいています。」

とあるのですが、始まりがあれば必ず終わりがありますよ。
という意味あいかな。と仏教徒の僕は解釈しています。

メロディやハーモニーになっていなくとも、
「声音」や「物音」に心がグっと持っていかれることも、
ありますよね。
「自分の心の音に、じっと耳をそばだてること。」
それがどんな音なのかは、その人にしかわかりません。
その音の佇まいにしたがって、人は歩みを進めて行くもの。
すなわち、素直であることで、
いずれ、他人様の「心の音」も、
ちゃんと聞こえ汲み取れてくるような気がしています。

自分が自分である。
というのは、誓いにも似たようなもの。

「らしさ」とは、「音」そのもののようです。

この、成り立ちのせいなのかもしれませんね。