2018年3月16日金曜日

雅 Elegance and beauty of movement or expression






ガ(ga)、ア(a)、みやび(miyabi)、みやびやか(miyabiyaka)
ただしい(tada-shii)

・実は、「烏(clow:karasu)」の仲間のこと

隹(スイ:sui)とつく漢字は、小鳥が元になっています。
そこに読みの音として隣にくっついたり、
下で持ち上げたりする役目の文字が加わることがよくあります。
この場合は、「牙(ガ:ga)」。

「牙(ガ:ga)」は、烏の鳴き声を表したものです。
これを、「みやび」な様に引用するまでは、
相当の時間がかかりました。
優雅さ。のイメージとしてあげられるのは、「舞」ですね。
この舞を、中国の貴族の中では「夏(カ)」と呼んでいました。
「夏」はもともと優雅に人が舞う後から見た様で、
加えて、その楽曲の歌詞を表しています。
でもなんとなく、この字そのものに優雅さを求めた結果、
音の似ている「雅」を借りてきたようです。
詩経という三千年くらい前の書物に、
その変遷が収められています。

・優雅さとは色気のこと

この春の始まりにふさわしい詩経の一節を紹介すると、
こんな感じです。

タイトルは、「おちて梅あり」。

摽有梅   おちて梅あり
其實七兮  其の実七つ
求我庶士  我を求むるのしょし
迨其吉兮  其の吉におよべ
 
摽有梅   おちて梅あり
其實三兮  其の実三つ
求我庶士  我を求むるのしょし
迨其今兮  其の今におよべ
 
摽有梅   おちて梅あり
頃筐塈之  けいきょう之をつく
求我庶士  我を求むるのしょし
迨其謂之  其の之をいふにおよべ

【ざっくり訳】
梅が落ちてます。
その実は七つ。
私めあての殿御方、
吉日選んでおいでなさい。
 
梅が落ちてます。
その実は三つ。
私めあての殿御方、
おいでになるなら今のうち。

梅が落ちてます。
手かごはからっぽ。
私めあての殿御方、
言い寄りなさい口づから。
※口づから:自分の言葉で。
つまり、「自分の言葉で口説いてごらんよ。」

アン・ルイスの「六本木心中」を匂わせるような歌詞ですね。

女性の色気は、小鳥のように表現されることが、
しばしばあります。
震えるような、捕まえていないと飛んで行ってしまいそうな。
そんな情緒を表すには、
「雅」がキャラクターとして良かったのかもしれません。
僕としてもこの方が賛成です。
「夏」は元から言えば、国の名前を表していましたし、
文字の使われ方も、風情によって変わるのですね。

・優雅さと上品さは似て非なるもの

この成り立ちのように、
「雅」はその意味を変化させてきました。
変化するということは、
いろいろな事情や事柄を巻き込んで、今に至るということなので、
唯一の意味合いを表現してはいません。
特に、日本に渡ってきてからは。

上品だから優雅である。という絶対的な関係性ではなく、
優雅さとは、人間の様々なありようを誰かや何かが表現して、
自分の価値観と照らし合わせて、「ああ、雅だな。」と。
例えば、
温泉に入って、花のひとひらが湯船に落ちてくる様を眺めて、
「雅だな。」
鼻の奥に抜けるウィスキーの薫りが、
脳の下の方で華開くその瞬間を味わって、
「雅だな。」
女性の背骨と肩甲骨の隆起を眺めて、
「雅だな。」

上品とはもともと仏教用語で、
品を九つに分けた「九品」から始まっています。
品とは、仏への帰依の度合いで分かれていて、
それによって、往生の状態が変わってくると言われるものです。
大きくは、上品、中品、下品。
これが、社会の中で所作や立ち居振る舞いに使われるようになりました。
品とは、思想や価値観を表し、
雅とは、状態を表しています。
芸術家がこの優雅さにとりつかれるのは、
あらゆる品を持つ人々に、新たな価値観や、思想を提案したい。
そして、それによって、誰かの力になることができたなら。
そういった、「いのり」のようなものが、
表現の背中を強く押すからなのではないかと、
僕はそう考えています。
そんな気持ちで、今回の書は書き上げたように思います。

今日は、長かったですね。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。



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